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第18回会合

今回の会合も金融システム研究フォーラムとの共催である。今回は、福井義高氏から「銀行規制と国債管理:発想の転換のすすめ」と題する報告を受けて討議した。議論の題材の素材は、Admati and Hellwigの2人の経済学者によるThe Bankers’ New Clothes (2013, Princeton University Press)と題する書物と、この書物の書評を含むCochraneの一連の論説(ほとんどがWall Street Journalに公表されたもの)である。2時間以上に及んで議論は盛り上がり、「こんな単純明快な主張が日本でほとんど話題にならないのはなぜか?」「すぐにでも受け入れられるのではないか?」「そもそもこれほどの分厚い本を書く必要があったか?誰を読者として想定しているのか?」などという見解まで登場した。
 発端は、福井氏から三輪に「こういう面白い意見について研究会で一度取り上げませんか?」というメールとともにWall Street Journal掲載のCochraneの論説が送られてきた。書評を読んで興味を持っていた三輪との間にすぐ合意が成立した。話題提供を福井さんにお願いして会合を開くまでに数カ月を要した。
 Lehman Shockと呼ばれる一連の「混乱」に刺激されて銀行を中心とする金融機関に対する規制の強化が必要だとされ、従来以上に高い水準の自己資本比率が求められることになった。Macro prudenceが合言葉である。Lehman Shock以前から自己資本比率規制の有効性・効率性に対する疑問が強く表明されていたが、Shock後の混乱の中で、そのような疑問が注目されることはなかった。“Financing in the Dark”と題するRomano Yale Law School教授の最近の論文冒頭の次の記述に同意する読者が多いだろう: “How should one regulate in the midst of a financial crisis? … Foundational legislation tends to be enacted in a crisis setting, and over the past decade, when confronted with this question, the U.S. Congress has answered it reflexively by enacting legislation massively increasing the scope and scale of the regulation of business firms, and especially, financial institutions and instruments, seemingly obliviously to the cost and consequences of its actions.”
 「どうせならもっと高い自己資本比率を求め、銀行融資の資金源は基本的に自己資本によるようにすれば、こんな問題は発生しない」などという見解に対しては、「銀行の特殊性を知らない素人の戯言だ。過剰な資本は銀行経営を非効率化する。資本は高コストなのだ・・・」などとする批判・冷笑が浴びせられる。批判以前に、銀行規制の「専門家」はこのような見解に注目もしないだろう。2人の著者は、資本は高コストだとする「常識」「通念」は誤りだとする論文を公表して、各方面から浴びせられる批判・反論に粘り強く反論したうえで、冒頭に紹介したような見解を表明するファイナンス研究者ではない実務家を中心とした広範な読者に向けて分厚い書物を執筆した・・・とうのが三輪の推測である。
 The Bankers’ New Clothesとは新たに課せられた規制のことであり、これを身にまとった銀行家たちに「王様は裸だ・・・」と叫ぶ役割を2人の著者が果たしていることになる。どちらかといえば経済活動に対する政府の積極的関与を支持する傾向がある2人の著者の主張に、政府規制の有効性にきわめて懐疑的なCochraneが強く賛同するという観察事実が読者の興味を引くかもしれない。それほど単純明快でrobustな主張なのだと納得する読者も多いだろう。
「銀行は特別だ」とする考え方を自明の前提として、「イザという場合には政府が救済に乗り出す」と銀行家と銀行利用者の双方さらに政府を含む国民全体が考えて行動していることが、銀行を含む関係者の行動を歪め、混乱を大きくし、規制強化を求める結果になっている。前提を見直し、銀行も普通の会社と同じだという点を確認すれば、事態は大きく変化する。Cochraneの表現を用いれば、The bottom line: People who want better returns must transparently shoulder additional riskである。「銀行預金は特別だ。特別な銀行がなければ、個人は少額資産をどこへ預ければよいのか・・・」という声には、たとえば、「そういう資金を受け入れる機関には、リスクの高い融資などではなく、政府短期証券を中心にした運用を求めればよい」ことになる。
2人の理論家による書物は、基本的な考え方を示したものであって、代替的な規制の枠組みの詳細にまで及ぶものではない。重要なのは「発想の転換」である。
冒頭の、「こんな単純明快な主張が日本でほとんど話題にならないのはなぜか?」「すぐにでも受け入れられるのではないか?」とする見解に対しては、「基本となるMM定理の内容を理解し、銀行行動・銀行規制にこれを適用するという発想を受け入れる金融規制の『専門家』が規制当局およびその周辺に数多く存在し、規制論議に重大な影響を与えるという事態は、当面日本では実現しない」として三輪は懐疑的であった。別のファイナンス研究者も同意した。この点で日本が特別であるか否かまでは話題にならななった。
 とにもかくにも楽しめる話題である。用意された福井さんのメモで内容は十分に理解できる。「内容が簡単ですから、すぐに終わってしまうかもしれませんが・・・」としてスタートし、2時間以上にわたって参加者を楽しませる話題を提供してくれた福井さんに深謝します。福井氏の報告用メモは下からダウンロードできる。