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“Bubble” or “Boom”?: 『法人企業統計年報』個表を通じた、「失われた20 年」 研究準備のための1980 年代後半期日本経済の検討 (2012年1月改訂)

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Abstract

本論文は、『法人企業統計年報』の個表を用いた1980 年代後半の時期を中心とした日本企業の設備投資行動の実相の検討を通じて、この時期および続く「失われた20 年」と呼ばれる時期の企業行動さらに日本経済の実相の本格的検討の準備を整え、実質的に開始することを目的とする。1980 年代後半の日本経済については、その直後から「バブルの時代」と呼ぶのが慣例となり、投資行動を中心とする企業・家計の行動を「バブル的」と批判・非難することに性急で、実相を正視してこなかった。本格的研究の対象となることもほとんどなかった。続く「失われた20 年」と呼ばれる長期停滞の時代についても、「バブル」の後遺症・ツケと診断し、それに基づく処方を採用し続けてきた。日本経済停滞の継続はこの処方の不徹底、規模の小ささによるとする主張にも強い支持がある。この「通念」の大前提に根本的疑問を提示し、詳細な検討を通じて、「バブルの時代」だとする判定および「バブル」という表現の呪縛から読者を解放することが本論文の第1 の目的である。さらに、大幅な地価変動との関連で企業の土地関連投資行動に過大な関心を向けがちな「バブルの時代」に替えて、「設備投資ブームの時代」と位置づけることにより、より多くの企業が積極的行動を示した「土地以外の固定資産」に向けた投資行動の実態への読者の関心の移行を促すこと、これによりこの時期の日本経済の実相の的確・適切な検討を可能にすることがより重要な第2 の目的である。加えて、「通念」の実質的前提として重要な役割を演じている金融資本市場における銀行融資の圧倒的優位性と借手企業の行動が銀行融資の厳しい制約下にあるとする想定の現実妥当性、および銀行の「不良債権」と企業の「過剰設備」に象徴される「バブル」の後遺症が「失われた20 年」の原因として決定的に重要だとする想定の妥当性の2 点についても批判的に検討する。三輪[2011c]および本論文で、いずれの主張についても、fuzzy but colorful な用語を用いたほとんど意味不明な内容であり、論拠・証拠の双方が理解不能あるいは実質的に存在しないこと、および「通説」「通念」が現実からはなはだしく乖離した神話にすぎないことを示した。これにより、「バブルの時代」だとする呼び方、「バブル的」だとする「色メガネ」から1980 年代後半の日本経済を解放することが可能となり、実相に関する本格的検討の開始が可能となる。「結語」はたとえば次の如く記す。「失われた20 年」は、「バブル」、「バブルの時代」、「バブルの後遺症・ツケ」などの表現・イメージに象徴される「バブル論議」に酔い痴れて、人々が時間とエネルギーを浪費し、日本経済を悪化した長期停滞状態のまま放置した時代であった。本論文の基本的役割・位置づけは、日本経済に関わる研究・議論、診断・処方のかかる憂うべき現状からの覚醒・脱出とそれによる「バブル」の呪縛からの解放である。これにより、1990 年代以降の日本経済の停滞状況の原因を「バブル(の時代)」に求めてきた「通説」「通念」の基本姿勢からも解放され、「失われた20 年」の診断の本格的開始のための条件が整ったことが重要である。
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